「幸福な食卓」


幸福な食卓 2007


父さんをやめた父さん。出て行った母さん。秀才をやめて畑仕事をしている兄貴。佐和子(北乃きい)という家族構成。バラバラなようで朝食には顔をそろえるし、母さんがご飯を作りに来ることもある。不思議な連帯感をもって保っている家庭。あることをきっかけにしてみんなが自分の中にあった気付きを明確なものにしていく。その結果に選択をした。あるとき佐和子にもきっかけが訪れる。佐和子は何を選び取るのだろう。


家族の中で距離をとるのが難しくなる時期がある。少しづつ家族という世界がはっきりしていって、暗黙の了解ができあがる。でも家族の暗黙に甘んじて、わからないことを分かった気でいることがある。思春期の子供としては言わなくてもすべてを理解して欲しがるし、親は話してくれるまで腫れ物に触るかのようにやさしくそっとしておく。本当はそんなの言わなければわからないのに子供はそのことをどうしても受け入れられない。齢にかまけたドラマが欲しくなる。それに自分をそこまでコントロールできないとも思う。


この映画ではこの距離感に対して、第三者の介入をカギにしている。第三者があまり家族間に介入していくことはない。やっぱり身内の恥に蓋をする文化は根強いし、ごたごたは外部に漏らさないのが美徳になっている。「他人じゃないと救えないものってある気がする」と兄に対して既に予感めいた発言を漏らしていた佐和子はその必要性を自然に理解していたのだろうか。それならばだいぶ大人だなぁ。そこにはなかなかたどりつけない。登場する第三者たちはささいなようで大きな役割を担っている。別段特別なことをしたから影響を与えるわけではないことを教えてくれる。本当にちょっとしたタイミングひとつだ。そうしてこの物語の核になるような「気付かないところで中原って守られてるってこと」というセリフが最後になってとても際立つ。


佐和子は自分のせいでという自責の念に駆られることもなく。さらに自分を責めることによって結果的に相手を責めるというスパイラルに陥るわけでもない。ただ気持ちや思いを正面からぶつけていく。言いにくいこともまっすぐに向き合えばわだかまりは生まれない。そこには“すれ違い”すらびっくりして出現を許さない。ひねくれないことが本当に潔くて、とりわけそれは家族において大切なことだと改めて教えてくれるようだった。


主題歌のくるみがこのために書いたような詩で佐和子の表情とともに画に色付けをしている。だから最後のシーンがじんわりと染みる。あのシーンが気持ちの整理をつけるためにほぼ丸一曲の長さを有しているのも丁度よいくらい。とても好きなかんじだった。


北乃きいは瑞々しいくらいまっすぐさが出ている女優さんで独特のテンポがある。そのテンポが感情移入に幅を持たせて表現の豊かさを生んでいる気がする。ライフもまっすぐな強さを演じていたし、彼女を見ているとすがすがしい気分になる。歩いているだけでも眺めているだけでもいろんな感情が見え隠れしている。この作品は代表作に恥じないとてもよい役柄だったんだなぁ。これからが楽しみ。