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私が「ストロベリーショートケイクス」を好きな理由

映画


ストロベリーショートケイクス

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それは零れてどうしようもない感情を垂れ流してもまだ美しいからだ。


邦画は疲れた人間を描く作品が多いと言っていたのは私の好きな人で、その多分にもれずこの映画も疲弊した現代人ばかり登場する。あれこれと色をつけながら、そのつけた色に馴染めぬまま決して止むことのない毎日。どろどろとした痛みが漏れていく体はありのままの言葉じゃなくて、それはときに眼差し、ときに仕草で表れる。生きる世界で言葉はどこか正解のようにふるまう。でも私はそれに違和感を覚え続ける。どうしても馴染めない宣伝や感想や意見、不満、告白、自己紹介。どれもこれも言葉がつまってつまりすぎて窒息しそうになる。映画ぐらいはその息を抜きたい。ストロベリーショートケイクスはというか、魚喃キリコの作品はその言葉の息苦しさを知っている気がする。だから魅かれてしまう。私は痛みが体に溜まると「私の感情をどろどろのゼリーにして、あなたに口移し出来たらいい」と思うことがある。言葉を面倒くさがってはいけないけれど、考えれば考えるほど億劫になる。言葉は何かに傷を付けるだけじゃない。傷を見せ合うから苦手なのだ。抜け出そうとしては中心に引きつけられ、取り込まれる。言葉の磁場。ぶよんとした厚い膜が張ったこの映画は多くは言葉を介さない。でも零れてくる感情は話すよりも多いかもしれない。そして、それを受け止める時間が映画にはちゃんとある。だから憧れる。早いサイクルで回る現実には、零れた感情を受け止めるだけの時間があるのだろうか。少なくとも私には未だ見えない。

この映画に音楽はあまりない。それも手伝って、時間の感覚がいやにはっきりする。今自分が進んでいる時間と画面に閉じ込められた時間との違いが酷く遠いようでとても近い。それが怖い。


劇中の岩瀬塔子が作者本人であることは2回目に見た時に知った。とても骨のある役者だと思ったら、まさかの本人だった。空きまくったピアスの穴と右肩のタトゥー、ガリガリのあばらに挑戦的な下着が目に余る。そしてとても美しく思う。