Perfume LIVE @東京ドーム 「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11」

あの日の感動から2週間経ちました。
私はあの日、パンドラの箱を開けてしまったかのような気持ちで家路に着いたのを覚えています。ここからはすこし夢から覚めてしまった、あの一日について記したいと思います。


私はPerfumeというものを信じていました。
3人の結束は堅く、契りを交わして流した血液を飲み干すようにファンは恍惚として伝説の目撃者となりました。売れない長い冬を昇華させたPerfumeはあまりの速さで変わっていく周囲の評価を気にするように、いつも自分たち以外の誰かを気にかけていたように思います。時に、気に病むくらいの距離で機微に触れるように。やさしくて几帳面な3人の人間性は売れてやるという反骨精神からいつしか多様な“声”を許容する慈愛に変わっていったのかもしれません。


Perfumeは3人の物語だと思います。それと同時に大人の事情との戦いなんだと思います。
その積年の内実をティーン向けのPerfumeLOCKS!で話しました。そこには「思い出になるからね、まあがんばれ。」と偉い人に窘められたこと、大学進学を保険とする進言がされたこともそのまま語られました。よくもわるくもじっくりと紐解いた状態での東京ドームが私は正直心配でした。何を意味するかといえば、物語で濁るということです。三人の物語性はあまりにドラマティックだと思いますが、そこが先行して、せっかく結実したショーが見えなくなってしまうのではないかと危惧したからです。


会場に着き、スタンド席からアリーナへと降り立ちふと見上げればPerfumeをみるためにここへ馳せた何万の人たちの影がそこにありました。5万人の存在感にのみこまれそうになりながら、うねりの中へと一歩一歩急ぎました。チケットの印字を握りしめて辿りついた席は下手花道の真横最前。ステージと観客を交互に見ては、それが現実かどうか最後までうまく折り合いをつけられませんでした。

開演。
暗転の先にまっすぐの光が差し、わたしの位置から見えたのは花嫁姿のあ〜ちゃん。長いヴェールを湛え、センターステージへゆっくりと歩いていくその姿は重い鉛をぐっと呑みこんだような決心を据えた澄んだ目をしていました。あの時、少なくともあ〜ちゃんはひとりの歌手としてのきらめきよりも、Perfumeという空間を秩序立てていく意志が宿った代表の顔をしていたように見えました。


1演目は”GISHIKI”
そう、契りはあの時更新されたのです。
娘を送り出す気分はいかがでしたか。


白い幕に覆われた中央のトライアングルに向かう3人。3人の世界から5万5千人の世界へ。
シルエットはどの席から見ても同じ「像」であるということ。情報を削ぎ落し集中した空間からはじまるPerfumeも含めて5万人が同じスタート地点にたつ。シルエットが最も美しい曲である「シークレットシークレット」のリバーブがこだましました。

不自然なガール」が1コーラスを終え、センタステージが回転したとき、ああPerfumeって360度1ミリの隙もないパフォーマンスなんだなと、腑に落ちると同時に込み上げてくる感情があって胸があつくなりました。こうして肌で感じてみるからこそ分かるPerfumeの完璧主義を前に、解釈を加えることをためらったのです。余地がないということは現実的な数字の力を見せられた時みたいで、そこに勝手におもしろがるコンテクストはないと感じたのです。どこか面白がってはいけないという畏怖みたいなものも感じさえしました。そういった意味であの日のPerfumeはアイドルではない、アーティストのショーそのものでした。


575の時には、まるで陽が落ちて一日が過ぎ去ってしまうような寂しさを覚えました。この時は一瞬しかないのだと強く感じ、やがて暗転し3人がステージの中央へ消える時、なんとなく次の瞬間自分は死ぬかもと思ったりしました。それは別に大げさなことではなく一日の終り、自然な流れの先にああ死もありますねという当たり前の選択肢のひとつのようにそこに置いてあったのです。続いている時間と切り取られた瞬間。毎日死ぬことで生きているのかもしれない、輝くって事はそれくらい命を振り絞ってることなんじゃないか、と感じたからです。Perfumeの真骨頂はやっぱり刹那さなんだとあの時感じました。

Perfumeの掟については、あのマネキンが全てでした。マネキンはPerfumeがいかようにも解釈される存在という表れなのは周知ですが、もちろん武道館を更新する意味合いもあるのだと思いました。かしゆかが10人になるということは積み重ねの中の生身を意味し、あ〜ちゃんのレーザーライフルは破壊をつかさどっているのでしょう。その積み上げた武道館、代々木、ツアーそんな現在までを自ら壊していくというように。のっちが楽曲を順番にふりつけていくことで、Perfumeの歴史を辿る様はステップアップのように見えますが、あれは変わらなさを表していたのかもしれません。のっちはよくもわるくも変わらない代表です。パフォーマンスは昔からスーパースターであり、性格は抜けています。タイミングなんだと思います。最後に三人があわさるタイミングを見計らっていたという印象が強いです。そこから先を明白に覚えていないのですが、とかく武道館の時にみせた壊れたコンピューターシティのようなパフォーマンスがあった後に「息をあわせて」そう言ったような気がします。あれは以後のコミュニケーションに繋がるのだと思います。


わたしはPerfumeが意味づけされたダンスや本格的なエレクトロという音楽性、飾らないキャラクター以外で勝負を仕掛けて行きたいんじゃないかと感じました。それは他でもないあのPTAのコーナーです。まるでミュージカルをみているようでした。台詞を吐くかのようにトークの合間に歌と踊りをはさんでいくPerfume。曲があってガチっと踊るのだけがパフォーマンスではないと言わんばかりに、3人は自然に踊りをちりばめていました。表現することはコミュニケーションだから、日常にさしこむ非日常でありたいという願いのように。普段着のコートを纏い、ポケットに手を突っ込んで日常をステップで駆けて行く3人。それは文字通りファッション感覚で歌をくちづさんでは踊り、音楽を楽しんでもいいんだよと言わんばかりに。ファッション感覚で音楽を聴いてなにが悪いのかということ、それはコミュニケーションの一部だといわんばかりの表現。「ねぇ」はそういうことを言いたいんじゃないかと思います。


ジェニーはご機嫌ななめのドーム周遊はきっと純粋なファンサーヴィスだったのだと思います。毎年毎年性懲りもなくファンサーヴィスをくれるPerfumeにはもう頭があがりません。いつもどんな時もいろんな“立場”のファンを穴があくほど見ている、Perfume。それだけ無数のありがとうを浴びると思います。でも、だからこそ、私はそろそろPerfumeの“立場”を大事にしてほしいと思うのです。もう心配しなくてもファンの立場は気にしなくていい、みんなついて行きます。この先、この曲はイマイチだな、と思うこともあるかもしれません。そろそろ歌ってくれないと飽きちゃうよと思うこともあるかもしれません。でも、そんなことは問題じゃない。批判を恐れないでほしい。だって、これはもう一朝一夕で変わってしまう想いではないのだから。――明日はどこにいこうかな?キミといると行先はどこも特別に変わるの。