最終ベルが鳴っているのかもしれない


心にぽっかり穴があきました。


さんざん考えて、私にとってAKBというのはプロじゃない笑顔をみる場所だったのではないかと思えました。プロなら笑え、より、プロじゃないからなんか笑っちゃう、だから変なところでも笑っちゃう、ぐだぐだしながら笑っちゃう、自然にこぼれ出る感情が面白くってたまらなく愛らしくて、そんなAKBを求めて、押しつけていたのかもしれないって思いました。だから正規メンバーの1人が辞めようが、謹慎しようが、いつも通り笑って仕事をこなす彼女たちがどっかに通り抜けて行ってしまいました。それは事情を知らない人や別に自分に関係のないファンにとっちゃ、規範を犯したメンバーのためにわざわざ貴重な公演や活動を台無しにされちゃたまらないと思います。沢山の人を、よりしあわせにするためのアイドル。だからやっぱりプロとして美しい。


でも私は乗りかかった船に一緒に揺さぶられながら、この先どこに漂流するかわからないけれど、誰かが降りる度にいちいち盛大に餞したり、乗り込む時は無駄に歓迎したり、1人元気がなければそのためにパーティしたり、危険を顧みずその子のために舞台を用意するなにかを期待していたんだと分かりました。全体のために個人を犠牲にしない正論以外の世界をみたがっていたのかもしれません。それを夢の世界と呼びつけて。それにはAKBもう大きくなりすぎた。気付いた時には私が押しつけすぎていた。


私のAKBは誰が、どう、ではなく全部繋がっていたんだなーって気付きました。増える分には構わないけれど、決定的な何かが欠けた時、もうそれ以外のピースはないんだ、と思うとAKBが今までと全く違うものになってしまったんだとやっと分かりました。素直に笑えない。素直に喜べないんだと。りえちゃんの映画もちろん観に行く。でも、AKBの活動を笑顔でみることはもう叶わないのかもしれない。味気ないです。こんなしんだ顔でアイドルに顔向けできないです。ゾンビや。


ただチーム4のことが気にかかっています。どのように再生していくのかを元々だけど死んだ目でみていたい気持ちがあります。アイドルをみて笑っちゃうってことがうまくできなくなったら潮時なんです。前もそうだったから。


私は推す人がよくスキャンダル?で抜けてしまうことがあり、なんだか大変だねとか言われることが多々あります。でも大変だなんて思ったことは一度だってないんです。大変だなんて思ってその子の事好きになったり応援したりしません。もちろん何かの事後であっても。それは鼻っからアイドルに騙される気だからです。嘘と呼ばれるけれど、人の秘密は美しい。それで自分の首を絞めてしまうことはかなしいので大人が注意してあげてほしいのですが、それをアイドルの子達が自分で気付けないからって頭が悪いなとも嫌だとも思いません。十代も十分成熟した身です。でもリスクを考えて動く大人じゃない。だからキラキラしてるんだと思うんです。背負わせすぎることは輝きを剥ぐ。周りの大人には輝きを照らす翳になって汚れて欲しいんです。


その子に何かあったら、ただ当たり前のように取り乱して、落ち込んで、忘れようとして、忘れられなくてを繰り返すだけです。私はそれを大変とは思わない。外からみて滑稽だと思います。それでも私は一度アイドルを好きになったら、同じことを繰り返していいと思って好きになります。そこまで含めてアイドルです。いっちょ前に青春したいんだったら、負の感情をなくすんじゃないよ。