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1人でも大丈夫よってめくれてる私のストーリー

AKB48


純情を汚せ。


傷口に塩をぐちゃぐちゃと塗りつけて、
イデデデデとまだ自分の声が出ることを確かめながら、
その生傷をここに留めておかなきゃいけない気がしています。


喪失感から日々何かを書きとめて置かないと危ない感じがしてます。
今度握手に行こうと握手券をとっていた吉田朱里さんも本日、謹慎するとの発表がありました。同、松田栞さんも気にはなっていましたが、もし両者に肩入れしていた場合私はちょっと持たなかったかもしれません。でもそういうファンだっていると思うんです。5人の全員のファンだっていると思うのです。それを考えると本当にアイドルを好きになる事について考えさせられます。


少々乱暴なことを書くと、グループアイドルがその場所を卒業してソロで芸能活動を続けるのと違って、その世界そのものからいなくなってしまうことは、私にとってはもうほとんど死に近いと思いました。というものも、私は近親を失くしたのが物心つく前のことなので、この喪失感は失恋以外に経験がありません。でも身近な人の死もこんな感じなのかなと思いました。それは上野顕太郎さよならもいわずに」を読んだからです。妻をなくしてしまった漫画家のその後の日々を描いたものですが、普段彼はギャグ漫画を描いている人です。そのせいか軽妙な淡々さがあるのですが、その静けさからこぼれ出す絶望がとめどない。私は誰かを深く愛していると自負する人全員にこの本を贈りつけたくなりました。テロです。つまりちょっとどうにもならないくらいアイドルが好きな人はこれを読んだ時に深く絶望すると思います。でもそれは希望のはじまりだ、とこの本は言っている気もしました。勿論、アイドルに限らず今目の前に大好きな彼や彼女がいる人にも。出逢ってしまったこと、というのは一体どういう運命なのか、平時より覚悟するためにこの本はある気がしています。それも、とても大きな役割をもって。


さよならもいわずに (ビームコミックス)

さよならもいわずに (ビームコミックス)

(※若干のネタバレになります※)作中、街を歩いていて「なぜ妻が?なぜあなたではなく・・・!」と思うのは私にとってその最もたる響きでした。八つ当たりというのは非常に無様です。それは想いのやり場がないということです。その想いをどこに置いておけばいいのかというのはきっとすぐにみつからないし、風化に頼るところが大きいと思います。だからって早く楽になるために忘れようと試みると倍々ゲームに想いが強まるのは明白なこと。無様。それでも思ってしまう「なぜなんちゃんが?」。


ふと、このやり場のなさと寄り添ってただ日々をこなせばいいのかなと思いました。うわばみがゾウをこなしたように。治るものじゃないから共に付き合っていく。あの子の腰の痛みみたいに。もう、失ったたった一つのものの代わりはないと知っているのだから、代わりを探さなくてもいいんじゃないかな、と思いました。前にもツイッターに書いた気がしますが、いくらかわいくても推し以外に埋められないもの、があると思います。いくらかわいくてもそれは個々に別の可愛さで美しさだからです。それをよくわかっているヲタクの彼女だからこそさっしーは推し増しという言葉を思いついたんでしょうね。そういえば彼女も深い喪失を経験している人でした。


若い時のように涙に暮れることは流石になくなりましたが、それでも喪失感というのはいつまでたっても底知れないものです。小さかった穴がいつの間にか自分と同じ大きさになってそのままブラックホールの中に落ちていくんじゃないかと思ったりもします。そしたらうっそぴょ〜ん。ってあの子が飛び出してきます。お茶目なあの子が。この喪失感のすぐそばにあの子がいます。ホラーじゃないですよ。人の心はどこへだっていけるっていうことです。自分がそう願えば。ただもうそこはAKBではない。



空いた穴をふさごう
ちがいない。いや。
ふがいないや。いや。
つらいない。嫌。嫌。