「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る」

「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る」


初日1月27日お昼に観ました。
遅くなりましたが、感想をまとめました。ネタバレは極力避けましたが、全く情報を入れたくない方はすぐにブラウザを閉じて回避してください。



前作が仲間と手を取り合って熾烈な芸能界を歩んで行く物語だったとしたら、今作はアイドル〜少女の圧倒的な「孤独」について描かれた作品だと思った。どんなに大所帯になろうと、仲間が側にいようとも、それぞれはそれぞれにたった一人の孤独を生きている。それもどうしようもないほどに一人で。

前田敦子大島優子高橋みなみ大場美奈島田晴香、岩田華怜。
人の数だけ孤独があるとは思うが、今作に置いては私はこの6人が2011年AKBに関して起こった「孤独」の目印になっているように感じた。



あっちゃん。
「何とたたかっているんでしょうね?」あっちゃんが高橋監督にききかえす場面がある。総選挙で順位が発表された後のあっちゃんはしんとしている。迂闊には誰も近づけないオーラがあって、そこに入れるのは本当にたかみなひとりしかいない。あっちゃんはたかみなを信頼していると思うけれど、たかみなのそれは親友、人生の伴侶としてではないんだと思って息が詰まった。AKBのセンターとしての前田敦子をAKBのリーダーとして高橋みなみが支えることを何よりも優先させている。それはあっちゃんがセンターを降りるまで続くだろうし、センターが別の新しい誰かに代わったとしても、たかみなはまた同じように支えるのだろう。学生生活も横に置いて6年間そうするしかなかったからとしかいいようのない状況で、AKBの為に覚悟を決めた流れの先にあるものだとしたらとんでもない組織を作り出したと思った。

西武ドーム過呼吸を起こしながらもステージに立ったあっちゃんのことは情報として認知していたけれど、その映像はまるでモンスターだった。こんな表現が適切かどうかわからないけれど、あっちゃんはそこにいないようで、そこにしかいられない。映画のパンフにもあった、あっちゃんが舞台裏でセンターと記された立ち位置の前にいる姿には、それが演出なのかドキュメンタリーなのかわからなくなるほどによく出来ていた。そのくらいあっちゃんに現実味がない。孤独が鳴りやまない。

だから私はあっちゃんに人生の伴侶がどうにか早くできるといいと思った。あっちゃんを仕事じゃない面で支える人がいないとあっちゃんはこのままAKBがなくなった時ほんとうにいなくなってしまうんじゃないかと思った。いなくなるというのは引退という意味ではなく、魂が欠落してしまうんじゃないかと思った。あなたがたくさん飼っている動物は確かな安らぎだけど、人でしか埋められないものを、あっちゃん少しずつ関知して。



優子ちゃん。
私は違う意味で優子ちゃんのことをなめていたのかもしれない。つまり、なんでもできるスーパーマンとしての大島優子さんに敬意を払いすぎていた。優子ちゃんがスーパーマンなのは失敗した時や負けてしまった時の場数が違うのであって、それを自分たった一人で整理することを繰り返してきた歴史なのだと思った。誰にも決してみせない優子ちゃんは表向きどこまでもプロの顔を絶やさない。それも、ただ元気でいるのではなく、ファンが慣れ親しんだ、あの大島優子であろうとする。誰にも気を使わせないようにそっとアイドルに戻る。映画の舞台あいさつで「見せたくないものまで見せてしまった」と語ったのも頷ける。私はいくつかのシーンで優子ちゃんの背中がこんなにも小さかったんだとはじめて知った。総選挙のあと、優子ちゃんとあっちゃんが抱き合うシーンは求められたものに応える意図が大きいのだと改めて感じた。素晴らしきショーマンスピリット。あそこに至るまで2人は2人のやり方で気持ちを整理している。それまではすれ違っても言葉も目も交わさない。だけど2人が呼吸と目を合わせて抱き合った時、AKBはそこに完成する。AKBは孤高の2人で守られている。

西武ドームではついに整理する空きもなく優子ちゃんにてっぺんがきてしまう。優子ちゃんがほしいものは休息でも、酸素でもなく、不安をなくすことだ。ちがうよ。それじゃない。優子ちゃんが求めるものがはっきりと見て取れるその映像にむかって叫びたかった。優子ちゃんの欲しいものはそれじゃない、いいから早くと、ただの画面に絶叫したくてたまらなかった。優子ちゃんてっぺんにいっても平気で他人の心配をする。それが、言おうとして言ってる、というより、ぼそっとこぼれてしまった心の声みたいに聞えた。この人は常に「気付き」でこころいっぱいにしているのかもしれない。それが全体のためで、全体のためは自分のためになると分かるから。この人のセンサーは一体いくつあるのだろう。



たかみな。
たかみなはどこまでも俯瞰者になる。俯瞰者はその時々に応じて自分の役割を察し、語るべき言葉を、必要なタイミングで引き出せる人。この俯瞰者が何人かでてくるのだけど、地方組は大家志津香、しーちゃんだった。地方組の支柱がしーちゃんだと見抜いたところはさすが高橋栄樹!と唸ったポイントだったのだけど、チーム4ではそれが山内鈴蘭だと見抜いたのもさすがだった。チーム4の俯瞰者は個人的に言えば永尾さんもそんな気がするけど、彼女は物言わぬ俯瞰者で、鈴蘭は物言う俯瞰者。2人は気も合うだろうけど、スタンスがすこし違ってバランスがいいのだと思う。しょうもない悪ふざけもするけれど、チーム4にいる島田・大場2人のリーダーをちょっとひいた位置からみている大事な存在に思えた。

俯瞰者とリーダーは一致しない場合も多いと思うけれど、たかみなは両者を兼任している。そんな重い仕事かかえてAKB以外を考える余裕なんてない。そのうえたぶん俯瞰者はエースになれない。だけどAKBのどこにも関わってその度発露する。時にはスタッフレベルに及ぶこともある。だからエースになれないとも言える。そういえば、去年のゆきりんは自分より3つ上5位のまゆゆを支えようとした俯瞰者だった気がするけれど、彼女自身が3位になったことにより、そこから抜けてエースの旅に出た気がする。そして、たかみなは恋愛禁止についても口を開く。この人はとっくにアイドルを超えてしまっていた。この俯瞰者候補になろうとしているのが佐江ちゃんなのかなと思った。佐江ちゃんの口から出た「やりたいこと」をきいてワクワクした。佐江ちゃんはそこにAKBの持ち場をみつけるのかもしれない。



大場と島田。
大場さんは後に戻れないものとしての孤独を背負った。それは今まで曖昧な線引きでもって処分が下された辞退者たちの影を背負い、「過去の恋愛は不問」とした新しいルール適用後、謹慎から復帰をするAKB本体初の人みたいになろうとしていて、そんなのってあまりに重いと思ったが、それが時代をつくった1〜3期なのかもしれないと合点した。なぜ大場さんは謹慎したのか。本人のこころがそうさせたのだろうけど、許可を下したのは大人達。だから謹慎がずっとひっかかっていた。その筋道について映画をみていて、言葉は悪いが、これは必要悪なんじゃないかと少し感じた。ひとり奮闘するしまちゃんを横目に大場さん謹慎前のチーム4は楽しそうに見えた。(※無論、これは演出で「見せられた」という可能性が高い) AKBの舞台裏が決して楽しいことには主軸を置かないこのドキュメンタリーの中で、楽しさの役割を担ったのは北原と指原しか登場しない(※これも演出だと思う)。 だけど同期で結成された末っ子チーム4は楽しそうにしている。末っ子は、この道が一方通行だと知らない。もちろん大場さんひとりが背負うものでもない気がした。だけど、大場さんが先陣切ることにはなるのかもしれない。いつぞやぱるるや大場さんがモバメで送ってくれた、チーム4結成後(リバイバル「僕の太陽」終演後)に秋元康に言われた「君たちは今日やっと6年前のチームAの場所に立った」という言葉はそういう意味じゃないかと思った。あの時はまだ、なんとなく引き返せそうと思ったんじゃないか。

大場さんが休むことになってキャプテン代行を務めることになるしまちゃん。ひとりぽっと与えられた肩書きと役割と友情のはざまで懊悩しているしまちゃんをみると心が切り刻まれるようだった。でっかいマスクからのぞく瞳が右に左に着地点を探していた。しまちゃんの悩みは肥大化したAKBのシステムを象徴していた。つまり、「アンダーシステム」 誰かが休めばその代わりに誰かがポジションを務める。TV番組でも劇場でも役職でもそれは変わらない。AKBがデカイ組織として回るための最も冴えたやりかた、と今のところはそうなっている。アンダーはあくまで代役なのか、それともそれ以上の意味があるのか、自分はどう折り合いをつければいいのか、そんなもろもろを瞳の中に映すようだった。しまちゃんは逃げることもなく大場さんにむきあう。チーム4にもむきあう。自分の気持ちに整理がつかなくとも、相手をすきでいてむきあう。しまちゃんと大場さんはもう引き返すつもりがないのだと思う。覚悟と迷いの中くもり空の下に佇む大場さんは一層うつくしかった。



華怜ちゃん。
最後に今作の主題とも呼べそうな12期研究生、岩田華怜ちゃん。彼女は仙台出身。2011年3月11日も仙台にいたそうだ。たしかあの時トガブロで研究生の中に避難所生活をしている者もいます、とみかけた記憶がある。それがたぶん華怜ちゃん。彼女だけが震災のど真ん中にいたメンバーなら外野から見れば、その境遇にドラマを感じたりもする。だけど彼女には現実はどこまでも現実でしかなくて、だから涙がでてくるというような場面が何度か映る。被災地訪問のときも、劇場で「誰かのために」を聴いた時も。まだ13歳の華怜ちゃん。自分の範囲で気づく常識に立ち止まりながら、言葉をつむぐ彼女に悲壮感はない。その澄んだ声、耳に残ることば。名前も顔もしらないAKBの冠だけの新人でも、「歌やダンスでたくさんの人を元気づける」ことに関しては並々ならぬ思いをもっている、そのことに気付くのなら、AKBというグループが一体なんなのか私達はもう分かっているのじゃないだろうか。

思い起こせば震災の時、AKBメンは撮影でほとんどがグアムにいた。震災後の変わってしまった日本の状況には何度も出くわしただろうが、震災自体を経験したメンバーが少ないということは、AKBと何か運命めいたものがあるのかもしれない。

傷つきながら夢を見る、というタイトルは正直安いなと思ったけど、全体を通して感じたものすごい孤独感を傷つくと表現するくらいで丁度いいのかもしれない。誰だって傷つく。毎日のように傷つく。生きている限りそれは続く。






★細々と印象的なシーンはあったけどネタバレするので書かない。
人とシチュエーションだけメモ的に書くのでみたくないひとのために反転。


ぱるる、僕の太陽初日。玲奈ちゃんととも〜みちゃん、西武ドーム。あっちゃん、よみうりランド。みぃちゃん、被災地とお花。大場さん、被災地と一本松。ともとも、総選挙後。あっちゃんと萌乃ちゃん、総選挙前。れいにゃんとかれんちゃん、被災地。誰かのためにを歌う9期。小嶋さん、西武ドーム。北原と指原、エビカツ撮影。北原とボディーガード。大家とノート。大家と北原、総選挙後。