2013年9月10日℃-uteの日。たどりついた場所。


2013年9月9日、10日。
℃-uteは芸歴11年、結成8年目にして初めて武道館に立つ。その2日の軌跡について。





※ネタバレありますので注意





リーダーの腹筋が8パックに割れて、マジスゴイヤバイことを本当にこの目で確認した。
いやそうじゃなくて。そういう私は、やっぱり、かっこかわいいものに目がない。


℃-uteはそれを今、旬に見せてくれる。どんなにキテルと言われても、自信のなさを拭えない5人が不安や緊張を隠さず、それでも輝き続ける姿があった。それは舞台に見合うように気を張った強がりのことじゃなくて、ありのまま輝くことをつかみかけている姿だった。規模が変わる時に今までと同じである必要はないと思う。それでもやっぱり「今まで」を忘れてしまっては、あまりに勿体ない、とも思う。℃-uteはアイドルをはじめたのが幼かったとはいえ、11年という年月は確かなもので、ステージのこわさも知っているだろうし、浮き沈みの無常さも知っているだろうし、今5人でいられることに対しても敏感だと思う。今までを忘れることなく、今までに囚われないよう極めて努める姿は、アイドルとしての人生の活路をはっきりとステージに見出しているからかもしれない。テレビに出られなくても、チャートで輝かしい成績をおさめられなくても、光とマイクとステージがあれば私たちは走っていくよ、といつしか覚悟を決めたような立ち姿。それでもこれからはきっと、その両立を迫られていくんだと思う。



だからこそ、武道館は今までとこれからが見えるステージだった。


一晩経って、今もドキドキしている。


アイドルが思う存分ステージ衣装を着て大舞台に立つ美しさと希望を私はこの夜、みつけた。今までの℃-uteが得意としていた体力の限界に挑むような、こちらとしては追いかけるのがやっとで、追いかけているうちに楽しいことしか考えられなくなる、途切れることのない早打ちのメドレー。ランナーズハイのようなステージとは違う。たくさんの煌びやかな衣装を着て、演出を浴びて、まるで1万人の歓声と一戦交えるように、大舞台に立つ美しさと希望を私はこの夜、見た。℃-uteは夢を託されているなと思ったし、たくさんの人から夢を託される存在になったんだと強く思った。



というものの、初日、初っ端から緊張して声がひっくり返っている3人がいて、私のドキドキはひどいことになった。緊張がシンクロするから、始末の悪いことに胃が痛い。そういう自分の過剰な感情移入を鎮めるように、円形のどでかい箱を一直線に抜ける声に救われた。鈴木愛理さん。マイちゃんの言葉で再生される「愛理は安定の〜」というフレーズが私の中を駆け巡る。オケなしゴスペルっぽいアレンジを加えた曲で「スリー、フォ」ときっかけをつくるリードボーカル愛理ちゃんの、最初から最後まで一貫した揺るがなさに、この人はすごい人だと思ってすくんだ。愛理ちゃんのきっかけで、メンバーが一斉に息を吸うその美しさ。会話する視線(特に中央で繋いだなっきぃ)。楽しそうに顔が綻んでいく歌声のやりとり。初日効果の感激で落ち着かなかったのもあったけど、実は同時に不安も感じた。でも翌日にはもう、不安な部分をささっと修正して別物になっていたこと、いっそう心が粟立つ。両日見た場所のスピーカ位置を考慮しても、たぶんそれはよくなっている。そうして一晩で修正してくる℃-uteには、おいおい武道館中も伸びるのかよという笑っちゃう驚きがあった。そっと神経を研ぎ澄ますと岡井ちゃんの低音が胸に響いて捕らわれる。岡井ちゃんはバスをやっていて、それが本当におそろしいほど重厚でなにもかもを支えていて惚れてしまう。愛理のリードと岡井ちゃんのバスで挟まれた℃-uteの5重奏は一度や二度では味わい尽くせなくて、なんかもうじたばたする。


愛理ちゃんの安心感は、2日目、この街を森高先輩と即興でセッションすることになったその時にも表れていたと思う。事務所の森高先輩に丁寧に挨拶をしていた岡井ちゃんは、原曲のイントロがはじまった時に「こっち?(のバージョン)」と口を動かしていた。岡井さんさきほどの厳粛な面持ちで何を聞いていた。リーダーが読んだ手紙聞いていたのか岡井さん。岡井さんらしい。この街は、出だしこそ1小節早く入りかけたけど、歌いなれないテンポが速まった曲の頭をきっちり決める愛理ちゃんは、その後に線をひいたように思えて、頼もしかった。リーダーは森高先輩に対してちょっとだたならぬ尊敬を抱いていることが伝わってきて大変なことになっていた。森高先輩の登場からの花束贈呈に、リーダーほらっとメンバーに背中おされて受け取った時も、どのタイミングもひゃっと驚いて、おまけに森高先輩から渡されたつんちゃんのお手紙を読むときも「私、噛まないでー」とセルフ突込みをする可愛いことになっている始末。だけどそんな時にそっと「噛んでもいいよー」と安心の言葉を添える子がいる。岡井ちゃんが、締めのあいさつで片方くしゃっとさせて言葉に詰まった時には「あと一歩だよ!」とかいうその人。マイちゃんだった。自然なやさしい空気に、℃-uteらしい光景だと思わずにはいられない。私が最初の℃-uteのコンサートを観た五反田の時とおんなじ、和やかですこし愉快な空気。森高先輩と歌い終わって衣装チェンジするためにハケなきゃいけなかった℃-uteは、前を失礼します〜とトコトコ通過する。こんな時でもちっとも変わらずに和む℃-ute。大舞台でキメれば決めるほど、愛らしいヌケが際立ってくること、にやにやと嬉しくなる。



悲しき雨降りの時に中央のステージがゆっくりと回転して、一人一人がフィーチャーされるようなショウケースのかっこよさは、初日2階スタンドからみても、翌日アリーナ前方でみても違った凄味がある。それは確かにステージなんだけど、一種の映像表現に近い雰囲気がある。画になる℃-uteにビジュアルの華を感じる。新曲のどこかファンキーでかわいらしい路線はハロコンの摩天楼ショーカバーを見たつんちゃんの閃きでは、と思わせるような良曲で、だけれど間奏の今までを積み重ねて更新していくキレにはお口あんぐり。なっきぃの歌が確実にうまくなっていくこと目覚ましいけれど、この武道館でもそうだった。自分のフィーチャー曲だけではなく、トレジャーボックスの2番始まりにかましたるわ、というふかしがたまらない。ワンフレーズで実力を発揮するってとても難しいのではないかと思うけど、なっきぃは確実にワンフレーズを自分のものにして世界をつくりあげてしまうのでおみそれである。あ、なんつっても夏ドキの間奏で3人向かい合うところ最高だった。ベーグルにハム&チーズ、日曜日は大好きよ、私が本気を出す夜という新録曲のコンボには、なんだかわからないけど、日常をしあわせに思う気持ちがひろがって、じんわりくる。ツインないしトリオでこれでもかというくらいにしあわせの空間作り出す。やじの手のひらをパンッとサンドする愛理ちゃん。ああ武道館でこんなにいちゃついたグループってあるんでしょうか。そういうやわらかい子たちが、なぜこのように戦士の衣装がこの上なく似合うのか。それは解明できない℃-uteの魅力そのもの。




コンサート前の気合入れにいつも℃-uteが行う円陣がある。今年は、かつてメンバーだったうめさんとかんなが武道館公演がはじまる前、まるで℃-ute円陣を組むタイミングにあわせたように共有した同じかけ声があった。公演の最後には、愛理が過去メン3人への感謝に触れたMCや、マイちゃんが辞めたかったでも辞めなくてよかったと過去を口に出せたことや、201回目で、一歩のスタートを武道館で切れることを口にするなっきぃや、岡井ちゃんの自分のキャリアの始まりへの感謝や、リーダーのすべてひっくるめてここに繋がったという言葉と、ステージで涙だか汗だかもうわかんないくらいにびしょびしょの℃-uteメンがこの星にルールを持って、慈しみあい、悲しみ微笑みを未来に伝えたいと笑顔で歌う姿がまざって、こっちはしあわせでしょうがなかったのはマジックだ。正気ではなくなっている。もうマジックだから。とにかく笑顔がきらめいている。その笑顔に希望をみる。アイドルの人となり、清さ、魂のすべては、笑顔に還元できると思うから。


夢の舞台でここまでやってきた自信と意識してきた舞台に立つ緊張とステージで感ぜられる歓びと、なかなか一言では表せない胸いっぱいの想いをたたえて、輝く姿。それまでを共有してきたオタクやファンがステージに返す表情や、終演後に空から降ってきた5色の風船を推しカラー着用者へファンが互いに飛ばしあう様子をみていると、こういうしあわせを放ってぐるぐる循環させることができるグループが続くような世の中であってほしいと思う。それが別段アイドルに造詣が深いわけではない層にまで届くことが、本当に良いことかと言われたら一概になんとも言えない杞憂もあるんだけれど、続けるということはいつだって命題だから、そういう難しさに選ばれる人というのは、確実にいると思う。だからこそ、最新の℃-uteが最高の℃-uteの言葉を捧ぐ。なにげこの内容がこれからツアーとして完成を目指すというのはすごいことなのかもしれない。かっこよくてかわいいを体現するグループ。それはたしかにJ-POPアイコンなのかもしれません。9月10日は最高の日。℃-ute℃-uteによる℃-uteのための℃-uteの日に、ありがとうとおめでとうを。しあわせでしかなかった。表現を絶やすことなく、いざ進めsteady go。



追記:
9月10日に発売された℃-uteのオフィシャルブックはめーぐるうめさんかんなのことにがっつり触れている。リーダーが本日あげたブログにもひとつの回答があって、3人のことを口に出して感謝を告げる環境整えるには、やっぱりここにたどりつくしかなかったのかなとか思えた。もしかしたらリーダーは今までずっと背負ってたのかもしれない。過去をきちんと肯定するためにも、武道館はあったのかもしれない。リーダーのいう「達成感」は一言で表すには思うより広大なのかもしれない。