演劇女子部 S/mileage's JUKEBOX MUSICAL「SMILE FANTASY!」

 

受け入れ難いことがあった時、できればいつも通り笑おうとするのは、決して綺麗事ではなく泥臭いくらいの心の処理があって生み出されること。それは力強さだと思う。S/mileageというグループが、名前の通り今まで笑顔(SMILE)を貯めて(mileage)きたからこそ、ここ一番で笑うことができるグループなんだなと思い巡った場所だった。

日常をファンタジーに変えることは難しいけれど、ちょっとおもしろいことをしたり、突然素直になったり「ノッて」みることがすべてのはじまりなんだよと言われているようだった。かななんのヤッタルチャン大国のパートで、めいめいタケちゃんあやちょが、全力で花音にけしかけるあの時。妄想に付き合わされる花音が釈然としないまま「落ち込むわ~」と乗っかって、やがて主役に躍り出る時。その時あらためて偽物のと本物の区別に意味などないと知る。魔法をかけるということは理解をする前に誰かを楽しませてることだと、花音の「カイカン」の決め台詞は胸のつかえをとるには十分の材料だった。

 

「何でもないくだらない1日」を舞台に「奇跡」を歌うミュージカル、舞台スマイルファンタジー。スマイレージはとんでもなく素敵な夢をみて今も見続けているグループだった。歌って抽象的なものも多いけれど、普通を夢みる女の子の物語の題材として日常視点が多いスマイレージの曲を扱うこと自体、ひねりを加える必要もないくらいミュージカルそのものだった。

 

 

全編通して、勝田さんがすごくいいなと思った。彼女はスマイレージの歌詞世界にどんぴしゃだった。スマイレージの歌は本当に乙女のごく短い一瞬を歌ってるんだと思い知らされる。SMILE FANTASYはその一瞬への讃歌であり、その先へ繋げていくために彼女たちに主導権を委ねた舞台だと思った。正真正銘の乙女ではいられなくなるその前に思いっきり甘い夢をみろ。一生パーティが続けばいいのに。勝田さんはよくわかってないような顔をしてみえるけれど、それは現在がその一瞬の中を生きている当事者だからの気がする。めいめいはプロ意識からその日常ルートを拒否している気もする。タケちゃんは青春を根っから持続させられる人のような気もするし、かななんは自信がなくてお笑いにして横目にみている気もする。あやかのんは通過したものの役割を担おうとしながら、まろは本当は未だ全然当事者でいたいのに少しずつ自分をだましている気がする。あやちょはもうずっとずっと先にいってしまったような後ろ姿が見える。

 

ミュージカルって仰々しさを楽しむところがあるけど、タケちゃんは歌うことが自然すぎるのでまるで話すように歌う。その才能が涙腺を刺激してやまない。かななんのヤッタルチャン大国パートは倒錯しているけれど、だからこそ素直になれない花音のゲートを開く。誰かのヘンな思い切りが誰かの思わぬ扉を開く話に私は動かされる。スキちゃんでリレーのようにメンバーへ抱きついて歌を繋げていくのも、ありそうでなくて、いつもみているものはなんだか不完全で本来のカタチじゃなかったのかも、と思ったくらい、あの時に意味が生まれていた。叙情組曲「スマイルファンタジー」のりなぷーのスロウパートが切なくて何度でも聴きたい。「ONE DAY」はめいめいの癖の強いクレッシェンドの後にあやかのんが仄暗い声を置きにいく展開が美しくって胸が震える。まろのファルセットが美しい。

 

パジャマパーティーをしているメンバーはおうちの中という設定のため、裸足である。なので、めいめいが「がんばらなくてもええねんで」でフィーチャーされる時に、バレエの足先で踊っているのがありありとわかる。ふざぎこむ自分からどうやって明るく笑顔を取り戻すのか、めいめいの立ち直る姿を目で追っていると、明るい雰囲気に戸惑いながらも手振りだけは動いてしまう、沁みついたアイドルが表現されていて思わずグラグラする。自己嫌悪に陥っている状況下の自分が、みんなと一緒に笑っていいのかいけないのかの間を目まぐるしく逡巡して、最後にあやちょが「抱き抱き抱き抱き抱きしめて」でギュってすると同時に、ピースがハマったように満面の笑顔を取り戻すめいめい。その曲を受けてかはわからないけれど、物語全体の最後にあやちょが「変なことを言っていい?」と皆の前で切り出すシリアスなシーンがある。「出逢ってくれてありがとう」と照れくさいことを大マジに伝える時、真っ先にあやちょを抱きしめるのは他でもない、めいめい。めいめいにはどうしても1期でも2期でもなく1.5期的なマインドを意識してしまう。壊して架け橋を渡した人。大切な人。大切じゃない人なんていないのだけど、だけど、ずっと前から眼差しを向けていただろう花音に、あやちょだけには言わせないと、恥ずかしいことを自分でも言い直してしまう花音に私は涙が止まらない。どうしてもあやかのんに秘められた重力は何か違う。雪が雨に変わった時のような重さ。それでも素直になれない花音ちゃんを犬みたいに「来い」ってしたり顔で言えるのはあやちょだけ。雨傘を語るあやちょに私たちは雨傘なんかじゃないと言えるのも花音ちゃんだけ。「雨傘の話」のたとえ。右と左で書き方が違うというのは、1期と2期の話だとする。印象派の技法で描いたのが4人のスマイレージ、より写実的に描いたのが6人のスマイレージ。決めつけないでというのは9人のこれからのスマイレージルノワールはあやかのん。誰かのエレクトロニカルパレードはいつまでも永続的に愛されたいという願いの現れなんでしょうか。

 

あたしがあたしである確率

あたしがあなたと出逢うファンタジー

 

意識するほどのことじゃなくても意識する細やかさがどうしてもスマイレージには必要だった。この時を前に進めるために。

パンフレットにいくつか指定曲があったというのをみて、事務所はすべてを知っていたのかなと思った。スマイレージとお仕事を連続でした末満さんに未来を託すという言い方はあんまりだけれど、こうなることを知ってて用意した愛。

 

彼女たちが舞台の中でとりあげる恋の妄想は、私達からする些細な日常生活のデフォルメに過ぎない。ファンはスマイレージに夢を見るけれど、スマイレージがお休みの日とか、部活下校とか、普遍な日常に夢をみているのだとしたら、こっちがスマイレージを好きなのってつまり紙一重なのだろうか。そうやって普遍なる幸せに気が付くことを彼女たちは定期的に教えてくれていた。スマイレージの曲中に本当は閉じ込めてくれていた。スマイレージの曲が好きな人たちはアイドル好きの中でも結構な乙女心の理解者で最高にキモい人たちだなと思うけど、あたたかい人たちです。