6/5〜6/21 演劇女子部 ミュージカル「LILIUM〜少女純潔歌劇〜」 ※ネタバレ注意※

※いきなりラストに触れます。観劇した方向けの感想です※
※ネタバレですのでDVD初見の方はご注意願います※







演劇女子部 ミュージカル「LILIUM-リリウム 少女純潔歌劇-」


永遠に咲きつづける花はなく、美しく咲く花もいずれは枯れる
千年の花園に閉じ込められた少女たちが織りなす美しき愛憎劇。
モーニング娘。'14 選抜メンバー × スマイレージが儚く可憐なヴァンパイアに挑む、
ゴシック・ミュージカル!


脚本・演出:末満健一
音楽:和田俊輔











6月の雨の日。
委ねられた庭師の物語に、終止符を。














■ラストシーン。ゆめはうつつ、うつつはまこと。



ラストシーン。



全員を自害させる時のリリーは実年齢の倍近くの年月を感じさせる。800年の月日が一挙に押し寄せた苦悩とやるせない老いの顔でさまよう。彼女が800年もの間、悪夢の中で無垢のまま生きていたのだということにたちまち恐ろしくなる。その時が一挙に解放された現実に。わめくファルスにむかって「あなたは永遠に一人ぼっちよ」「孤独なんて誰にも埋められやしない」「そうやって、永遠の孤独の中で泣いてろ」と捨て台詞を告げるあの冷たい瞳。そしてナイフを自分の心臓に向けるリリーは、光のない暗黒の顔をしていて、背筋が凍る。やさしいリリーがみんなにやさしい理由は、誰かと特定に距離を詰めたくないからだとも思った。ラストシーンを経て、二巡目をみるとリリーが本来は倫理観や正義感を曲げられない頑固な性分だったことがわかり、リリーが多方面からの愛や憎しみを受けてなお、どこか何にも目覚めてないような振る舞いを繰り返していたのも、ファルスのイニシアチブの記憶操作なのかもしれないと思えた。その目覚めの無いさまこそがファルスが愛した「純潔」、スノウが願った「無垢」そのものだから。


しかし耐え難い現実をスイッチにリリーの純潔の信念は、倫理観の鎖へと変わり、狂う。こんなことあってはならないに囚われたリリーは、目の前の現実を拒絶し、自分が信じた「現実という夢」へ帰ろうとする。何をしでかすのかわからない様子と鞘師の中に巣食う強いエネルギーが掛け合わされて、最悪の絶頂を迎える。最悪。吐きそう。最悪なのに、なぜかその一瞬の爆発にだけリリーの恍惚も感じる。たぶんそれは、操り人形ではない自分で決めた魂が自分の意志で燃えたからだ。


ファルスが「僕を受け入れろ」とリリーに迫る時のそれは、観る回数を重ねるうちに「現実を受け入れろ」という言葉に聞こえていくようになった。なぜならファルスが夢をとしてつくりあげた永遠に続く花園もまた、ひとつの悪趣味な現実だから。ファルスは歪んでいるが、それが自分なりに求めた世界があり、他人にとっては受け入れがたい嫌なことの象徴としてリリーの前に君臨した。「私たちはあなたの人形じゃないわ」「他人の命を弄んだ」とリリーは他人の現実を拒否した。800年も生かされてしまった現実をリリーは受け入れず、リリー自身の「夢見たあるべき現実」へ帰ろうとする。彼女は潔癖にも似た倫理観で、現実を選択する。結果的に方法を誤って、同族を殺すという罪を背負うリリーに、まもなく罰が下る。クランの中でも物事の分別がつくほうで、いつだって公平な立場を守っていたリリーが判断力を失くし、半ば最後の最後で頭がおかしくなってしまう。まるで繭期をこじらせるかのように。その状況に呆れ哀しみ笑いさえこみあげてもおかしくない。リリーが800年も生きているのなら、本来の繭期はとうに終了しているというのに。


それはスノウにも言えること。「シルベチカは探さない方がよい」とリリーへ忠告するあのシーンで「あたしもあなたも繭期で頭が変になってしまっているのかしら」と何もしらないリリーに急に自嘲的になるスノウ。あの心地の悪さがずっと胸に溜まっている。たちまちにそのスノウの姿とリリーの放たれた800年の狂気が重なり、心地の悪い恐怖が倍増する。イニシアチブが効かなくなって800年の記憶が保たれた時というのはそれほどまでにおそろしい。だから想像されうる、スノウがはじめてイニシアチブが効かなくなったときは、一体どんなことが起こったのだろうということ。彼女の性格からしてリリーのように外に発するより、内にむかって、自分自身を傷つける方向に走ったような気がしてならない(ここに関してファルスとの関係に後述する)。そして、その遥か先、3000年の記憶を保ち続けるファルスのこと。少女たちを自決させるリリーの膝に縋りつき抵抗するファルスは「やめろ、やめてくれ」に続けて何かを必死に叫ぶのだけど、この時大きなBGMが鳴っていてファルスの情けない嬌声はかき消される。でも、4度目に観た時ファルスが何を言っているのか、初めてその言葉が聞き取れた。



「永遠の繭期だ」



ファルスはそう叫んでいた。髪を逆立て、瞳を見開き、舞台のど真ん中で跪き天を仰いで、そう絶叫する。なんてかなしい男なのだろう。彼は一体何を手に入れられたというのだろう。リリーとスノウのように親友として過ごした日々も、マリーゴールドが生きる意味を得たと感じたそれも、キャメリアとシルベチカのようにたとえ醜い姿になろうが構わないと愛を伝えあった事実も、竜胆と紫蘭のように何かを必死で守ろうと協力しあったことも、カトレアたちのように不安を共有しながら冗談で盛り上がる仲間も、彼には何もないではないか。ファルスの3000年の孤独が大地を割らんとする時、リリー演じる鞘師のパーソナルカラーである真っ赤な炎が閉じられた花園を焼きつくし、この悪夢に終わりがくる。惨劇に対して自嘲を極めるファルス。彼は本当に「それこそ永遠に」続く物語をつくりたかっただけなのだろうか…。


「永遠の繭期の終わり」のレクイエムが捧げられた後、クランで永遠の象徴であった雨は止む。「だれかが時間を閉じ込めてしまったのだ。だからこの森に降る雨はやむことがない」という冒頭の紫蘭のきゃっきゃとした冗談まで、ぐるぐると自分の中の記憶が巻き戻される。無情にも最悪の形でこの森の中に閉じ込めた時が動き出す。雨があがり白い光射す中たった一人残されたリリーは、クランで過ごした惨劇を反芻しながら、3度発狂する。現実は、その咆哮をもって生まれる。怪物が生まれる。「あなたは永遠に一人ぼっちよ」「孤独なんて誰にも埋められやしない」「そうやって、永遠の孤独の中で泣いてろ」という言葉がブーメランのように戻りゆく長い長い現実のはじまり。





■少女純潔

枯れることなく咲き続ける花よ
君のことを想い僕は眠ろう
その花はまるで滅びぬ少女のように
永久の美しさを湛えるだろう


絶望の地に咲く一輪の花よ
孤独を孤高に変えて気高く咲き誇れ
さすれば誰もその花を摘むことなく
儚き美しさは永遠となるだろう


君の胸に刻むは、少女純潔
死すらも傍らに従え永遠の旅路をゆけ
君の胸に刻むは、少女純潔
さすれば僕は死の寝床で君の夢を見よう


君の胸に刻むは、少女純潔 少女純潔 少女純潔

そして物語が「少女純潔」という歌劇へ託される。ファルスの「孤独」をリリーの「孤高」に託そうとするならば、この歌の中で彼の真の願いが少しだけ透ける。ファルスは気高く生き続けることを諦めてしまった。夢や希望を何かの御伽噺にすりかえ3000年の時をたった一人で生きる。ファルスがもっとも哀しい顔をするようにもみえる歌が終幕を告げる。ふと違和感が生まれる。なにもしらない観客はリリーの視点を追わされるようで、最後はファルス(ソフィ(TRUMPの世界))に視点が変更されているような気がしたこと。つまりはなっから2回観るように想定されている…?やるなぁ末満さんと思ってしまった。


少女たちに囲まれ、中央に一人立つファルスは、この振り付けの中で少女たちの頭の上に手を翳し、一回りする。少女たちは順番に膝をつき、ファルスがてのひらを前に翳せば、導かれるようにその場で次々に少女たちが横たわっていく。蕾だった花が満開となり、やがて朽ちるように。最後の一輪となった孤高のリリーを朽ちさせた後、ファルスの伸ばしたてのひらは何もつかむことなく自らの胸へとかえり、会釈のような軽いお辞儀と共にそのまま舞台が終幕する。少女たちの花が開かれる美しさと対にファルスの目線を追うと、どうしようもなくかなしい。しかしたまらなく美しい。触れたら壊れてしまう花々。ファルスの手は永遠に花に届かない。TRUMPでいうところのクラウスの手がアレンという星に届かなかったあの時のように。








■ファルスの孤独と愛


ファルスは観れば観るほど憐れな男に見える。
少女が演じているのに男と言い切るのも変な話だけれど、でもそう見えるのだから仕方がない。


劇中ファルスが少女たちから憐みの視線を浴びる印象的なシーンが4つある。


ファルス「僕がずっと一緒にいてあげるから…」
スノウ「あなたは嘘をついているわ」

ファルス「いざとなったらイニシアチブで飲ませることもできるんだぞ」
シルベチカ「そんなことをしてもあなたの孤独は埋まらないわ」

憎しみでスノウを殺したマリーゴールドを燃やしてしまうファルス
マリーゴールド「あんたもあたしと同じね、かわいそうな人」

少女全員を道ずれで自害させたリリーにより、自分の花園が壊れパニックになるファルス
リリー「孤独なんて誰にも埋められやしない」「永遠の孤独の中で泣いてろ」


ファルスは孤独を指摘されるとうろたえ目を丸くし震える。時には激昂する。この物語を観た時に最初につい探してしまったのは愛はどこにあるのだろうだった。愛憎劇という触れ込みを先にみていて、憎はありありと描かれていても、その憎に見合うぶんだけの愛が私にはあまりみえなかった。シルベチカとキャメリアは愛を歌いあげるが、2人の関係がそれほど深いものだったのかまでは描かれておらず、何かのギミックにさえみえた(でも歌がすごいので、真実だと思わざる負えなくさせる。)マリーゴールドがたったひとりで愛憎を持ち合わせるには荷が重すぎる。リリーは無垢のまま、スノウは不穏な種を抱える。一体貫くような愛はどこにあるのかと思ったけれど、愛ではないのかもしれなかった。





■TRUMPとの関係性


Twitterの文字からふるえがつたわるようなTRUMPをもともと見ていた方々のつぶやきをみて、前作「TRUMP」を無視できなかった。やっぱりTRUMPの世界を最初に愛した方々のお話が一番リリカルでわかりやすいなぁと思うけれど、LILIUMから入ってTRUMPのDVDをどうしても見たくなって観たので、少しだけ思ったことを書こうと思う。LILIUMの初見で「ソフィ・アンダーソン」「ウルと名付けることにした」このあたりの台詞の貯め方はうやうやしく謎として残ったことを念頭に置いて観劇した。


TRUMPのDVDを観ると、もう何もかも最初からだった。だってLILIUMはTRUMPの続編だったのだから。リリウムで頭殴られるくらい衝撃だったあのワルツをいきなりお、踊っている。それからの2時間半、鬼畜であるはずのファルスがソフィとして生きている「僕たちのクラン」での生活を覗き見ることになる。ダンピールとして虐められていたが、気概があり決して屈しなかったこと。剣の腕も達者で、頭もよかったこと。永遠の命を望まなかったこと。権力に興味がなかったこと。永遠の命を望む友を持っていたこと。その友を失ったこと。ソフィの出生の秘密。そしてTRUMPの冒頭をもう一度みるとすでに孤独のはじまりに帰る。それがファルスなんだか、ソフィなんだかわからなくてパニック。


でもソフィが芯のある好青年であった過去はLILIUMのファルスを愛した者として、救いだとも思えた。ファルスは悪人ではない。この世界にもまた性善説があるのだと思える。LILIUMの世界をダブらせて観た時、ファルスの面影を探すようなことをしていた(正しくはソフィの面影がファルスにあるのだけれど私の場合は逆になった)。TRUMPのソフィの決闘のシーンにファルスがスノウを庇う時のアクロバティックな動きをみつける、ファルスの親友のウルもリリーと親友だったスノウもよく本を読んでいること、「我は守護者なり」と呪詛のように呟くラファエロ兄さんと、その言葉を掲げてスティグマの歌を歌う紫蘭マリーゴールド。「TRUE OF VAMP」内でスノウが歌う「星の轍」という歌詞とTRUMPの冒頭の曲。バンリの身体性とチェリーの運動神経。ドブネズミの匂い。薬を飲むシーン他で流れる同じBGM。あまりにもあまりにも同じ…だったもので、LILIUMがたびたびフラッシュバックしながらシーンは続いた。それでもTRUMPのクランは利権争いなど貴族社会をベースにした縦社会があり、男の苦悩的な話はわりと大きい。LILIUMは閉じた秘密の花園で、血盟議会の説明こそあるものの、ファルスがつくりあげた社会で本当にそれが実在するのかもわからないし、男子寮だってたぶんないと思う。ファルスは男社会に疲れたのだろう。ファルスはウルの思い出だけで十分だったんだ、なんてことだ。あの薬が愛の正体だったなんて。3000年もそのことを記憶し続けているなんて。


TRUMPを挟んで、LILIUMを観た一曲目は正直恐ろしかった。シルベチカが一人で歌いだす中、急にに全員で登場し歌いだす「For get me not。私を忘れないで」のスイッチで、TRUMPとLILIUMその間をつなぐ3000年の歴史、その間を生き彷徨った人生が一挙に押し寄せた。たった一人の「ヒト」では抱えきれないほどの歴史が。こちらからあちらへ原風景を共有する私達、人間。終わることのない絶望の淵を覗き見ても、架け橋にすらなれない私達、人間。架け橋を背負うあなた達、吸血種。それでも知ることだけがやがて希望になるのだと思う。忘れないことだけが。





■ファルスが大事にしていたもの


それは多分、友情。


都合の良い、友情。ファルスは愛に対して歪んでいる。ファルス=ソフィは孤児である。学校では虐められていた。しかしヴァンプのエリートであるウルだけはなぜかやさしくしてくれた。だけど、ウルはソフィの中にあるダンピールを自分の境遇にダブらせて求めたのだった。ファルスはその後3000年の間に心からの愛を感じることはあったのだろうか。素性を隠さなければならず、偽りの名で生きる。どの状況下で愛の温かさを知ることが出来たろう。やがてかれは「クラン」をつくる。そこで最高傑作をつくること、永遠に終わらない夢の楽園をつくること、自分の理解者を作り出すことに彼は従事する。スノウとはたぶんそういう関係になっていると思うけれど、それは愛と言い切れる類のものではないのだろう。すぐに何でもイニシアチブを掌握できてしまって、愛なんて生まれやしない。パワーバランスがとれないからこそ、寄せては返し、愛は育まれるというのに。彼は愛が育まれる状況下にいない。


やがて目には見えない愛ではなく、目に見えるものづくりに意識がシフトしていったファルスが、「君たちを愛しているんだ…」とひとりごちるそのむなしさ。全く届かないその軽々しいむなしさ。3000年も生きてそうなるむなしさ。友となろう。友とはなんだ。対等ではないのに友と呼ぶ、むなしい願いだけが続く。繭期のティーチングのあたりで竜胆が唱えるクランの教えの中に「規律を重んじ、友人を愛し、血族の誇りを育む。」といったようなものがあったところからも、その創設者であるファルスが愛ではなく友を重んじているものと受け取った。ある庭師の歌の中には、花を恋人のように大事に育てたとあるが、それも彼の思いすごし。紫蘭や竜胆はきっとその気持ちに寄るものだったはずだ。なのにどうして愛してやらない!特に紫蘭はファルスにとって代わろうとするような意欲的な人物であったはずなのにどうして愛してやらない!すまないね、巻き込んでしまった、じゃあないよファルス!ああ!福田花音がやるべき役柄過ぎる!スノウ(あやちょ)のこと絶対よく思ってない!隣でひたすらに祈りを捧げるフクちゃんのしっとりとした瞳!ああ!マシュマロボディ!ましゅ…まろ?まろ!…そういうことか!マシュマロなのか!もう!ひとりぼっちのスノウのところでモブやってる花音の顔がなんかすごい!スノウが一番冷徹な顔をするあの曲だからこそギャップがすごい!ねえ紫蘭を愛してよ竜胆!……すみませんファルスの話じゃなくなった。だってファルスは本当に永遠に枯れない花を愛しているつもりだとでも?リリーはソフィじゃないかそれはナルシシズムじゃないか…。




ソフィがファルスになってから、あのクランで何があったのだろうか。
リリウムの1000年にはもっと愛憎が秘められている気がどうしてもする。




以下は、なおさら話半分のお話。





■スノウの穢れ


どうしても自分の中で肝となった、あのシーンについて。以下はすべて、スノウとファルスがワルツを踊るシーンはなにかの隠喩だとしか思えなかった私の妄想です。未見の最前列で受けた印象はよほどのインパクトだった。貧血を起こして倒れたファルスを支える時にスノウが「ファルス…」と口にする時から、これからどれだけエロいことをする気なのでしょうかと率直に思った。スノウは「私達どうなってしまうの?」と言ってファルスに凭れかかる。その後にファルスの主導で2人はワルツを踊りはじめる。ここはTRUMPでクラウスがアレンに落ちたシーン、ソフィが冒頭でみせるシーンのダブりでもあるけれど、物語を引き継ぐだけではないリリウムそれ自体にある何か特殊な雰囲気を感じた。スノウは踊りをやめないファルスに「そんな気分じゃないの」と告げる。


初見ではただならぬ雰囲気、としか思わなかったけれど、死ぬことが怖くて永遠の繭期を受け入れたと後々語られるスノウの物語の一巡を辿ると、どうして彼女がそれでも最後に死を望んだのかがひっかかった。死を恐れているのに結局自害もどきで絶命したスノウの気持ちを考えていた時に、ふと思った。スノウは新しい命を宿しているんじゃないか。そのことをファルスに告げることができないから「そんな気分じゃないの」とこぼしたのではないかと。もしもスノウが宿した新しい命に、自分のような運命を背負わせることができないと思ったのならば、…という、あんまりなことを考えをはじめてしまった。


アイドルだから絶対に孕ませることなんてできなかったんだと思うんだけど、本当は末満さんそうさせたかったんじゃないかと思ってしまった。男と女がいる限り、そしてTRUMPのアレンとメリーヴェルをみる限り、避けては通れない命題だと思う。ファルスが「僕は君たちに純潔(純血)でいて欲しいんだ」と言った後にスノウに向けて剣を抜くところがあるが、あれは生死を奪うと言う意味ではなく、純潔を奪うことを指しているようにもみえる。さもなければファルスは最高傑作であったスノウ(やリリー)を失うことがこわくて不死であることを確かめることができなかったのに、どうしてあの時いとも簡単に剣を抜いたのだろう。しかもスノウはその剣を横目にその場を去るので気付いているのにまるで怯えない。その後も殺されかけるスノウを助けだすのに、なぜあの時は剣を抜いたのか。最後にスノウは告げる。「あなたは嘘をついているわ」。単純に少女たちに自分の血の薬を飲ませ続けていること、自分がTRUMPのソフィアンダーソンであることを隠して生きていることを指すだけではなく、少女から女性になってしまったスノウを愛することができないのに「僕がずっと一緒にいてあげるから」というファルスを見抜いているようにさえ思えた。


共同幻想ユートピア』でスノウと踊った直後「永久の美しさを」という歌詞の合図とともにスノウを乱暴に突き飛ばすのがファルスである。中央に倒れ込みながら動悸が激しくなるスノウは泣いているようにも錯乱しているようにもみえる。あそこも穢れの隠喩にみえる。あの世界がスノウの心象風景と見て取れるので、後ろで指揮を執る鬼畜なファルスは少女たちと夢をみたがっている。少女とは。少女とは。少女とは!全くは私の頭が沸いた世界だけれど、正直どぅーとあやちょの掛け合いをみて、そこまで読み込ませてしまう、まがまがしい、ただならぬ気配があった。特に和田彩花さん、貴女はスノウをどこまで読み込んで、一体何を考えているというの。


スノウがいう「私たちはファルスなのよ」はわたし=あいつ=あなたであり、あいつを媒介にしかできないスノウの苛立ちがあり、あいつが忌々しくもいとおしくもあり、スノウとリリーは永遠に交われないのであり、真実は穢れであり、忘却は怖れであり、マリーゴールドではなく、スノウこそバロックの乙女なのだろうか…





■キャメリアは女の子?


ファルスが真実を告白するパートでさえも「少女たち」と告げる中にキャメリアもいることがひっかかる。便宜上そうしたというわけではどうしても思えなかったのは、工藤の男の振る舞いが完成されすぎているところもあるが、かななんの立ち振る舞いは演出ではないかと思ってしまう過剰ななよさがあったから。例えばチェリーといる時に僕は何をしに来たんだと胸を抑え起き上がる時の内股。そしてシルベチカはそれすらわかって愛していたというところまで思いを巡らせると、一気に真の主役に躍り出る。青年期で老いを止めてしまうということは、男も女もわからなくなるということに他ならない。それはリアルな工藤をみればわかることでもあるのだけど。


思春期の女の子がもつ友情の秘密主義をシルベチカには感じる。いつの間にあの子と深い仲になっているの?ということが常である女の子の思春期をまるっと引き受けているのがシルベチカのような気がする。そしてその秘密主義がおださくにぴったりで妙な貫禄さえ感じる。彼女がみんなと笑っていた様子が描かれていないので想像するしかないのだけど、シルベチカに限れば少しよくわからない相関図でよい気がする。℃-uteが去年やった女子校が舞台の「さくらの花束」で言えば「後藤あかり」に該当するような物語にきっかけを与える立ち回りだと思う。(観てない人ごめんなさい)。


キャメリアが女であることを知ってもなお愛を貫いたことが、もしシルベチカが自殺した理由に直接ではないにしても絡んでいたのだとしたら。なんとなく物語上の罪深さが3割増しくらいになる。例えばクランで2人は後ろ指をさされるが、そこだけ記憶を消してやるとファルスに言われたとかそういうことを含めての話だったら。それから気になる箇所だと思うけど、キャメリアはチェリー達に出会う前に、自力でシルベチカのことを思い出しているので、それなりに薬の投与期間が長く(生きている年数が長い)イニシアチブの効力が薄れてきているか、それとも特殊な記憶操作をされているか、はたまた愛の力なのか。そしてファルスが自分の素性を隠すためだけにキャメリアを男だと思わせているのだとしたら、それも罪深さが3割増しくらいになる。





リリー(=リリウム)とはなんだったのか。





■シルベチカはいつリリーに庭師の話をしたのか?


それがこの物語を貫く「願い」を軸に考えれば、とても大切なタイミングに思える。不老不死になるための薬を飲まされていることをシルベチカは何らかの理由で知ってしまい、それとなく庭師のお伽噺をリリーに聞かせたのだと私は思うことにした。シルベチカは意図的にリリーに想いを託した。リリーは、シルベチカをはじめとした「名前の横に×をつけられた」いくつもの少女たちの魂より選ばれたカギを握る者だ。「シルベチカが言っていたわ、永遠に咲き続ける花はない。どんな花もやがて枯れる」とファルスにお別れを告げる時でさえ、リリーその話を持ち出すのだから。愛ではないのかもしれないけれど、リリウムには少しの「願い」がある。シルベチカの「私を忘れないで」こそが、リリーの記憶を呼び覚ましたのだと私は思う。それこそがこの物語の核であると。リリーはシルベチカが話してくれた御伽噺にだけ興味を示し、どこまでもこだわって動き始めたのだ。”今まで話したことのない”スノウにすら協力を募り、クランを抜け出してまでシルベチカを探した。シルベチカの「私を忘れないで」はかなりの影響力を持つように思う。その言葉を浴びたもう一人の人物、キャメリア自身も秘密を知る前に、自力でシルベチカを思い出したのだから。リリーの心を打った庭師の話をしてくれたシルベチカの「私を忘れないで」と、800年来の親友であったスノウの「私を忘れないで」の、2つの願いを背負った女リリーは、狂ってもファルスとは違う別の選択肢をたどることができるのかもしれない。かつてのソフィアンダーソンもまた永遠を望まなかった。それは現在のリリーともまた同じではあったが、ファルスは男で、リリーは女。それを大きな違いとして受け取るのなら、リリーは絶望の淵でも同じことを繰り返さないと思う。きっと。そう、思いたい。


通常のカーテンコールのようなものがなく、笑顔もない。登場人物が演者自身に戻ることがなく終わるところも、この舞台の後引く哀しい美しさを形作る。大阪の大千秋楽では、カーテンコールで、ファルスがキャストパレードの時に持っていたあの百合の花をリリーが舞台の中央に置き、その間中、横でスノウが見守っていたという。リリウム=リリーの花言葉にある「永遠にあなたのもの」は「私を忘れないで」に通じる気もする。人が忘れない限り、それは永遠となる。消えてしまっても永遠に自分のものになる。リリウムのお話は終わってしまったけれど、私の中でそれは永遠に自分のものになった。誰にもおかすことのできない永遠。その消えないともしびを何千人もの心に生み出した、挑戦的で美しい試みに何度でも喝采を送りたい。いつ観たって、気持ちはスタンディングオベーションでした。ありがとう。そしてさようなら、リリウム。

















6/5〜6/16@池袋サンシャイン劇場
■東京千秋楽ブログ


工藤(ファルス) :「リリウム!東京千秋楽!」
和田(スノウ) :「リリウム東京公演千秋楽!」
鞘師(リリー) :「東京千秋楽。」
田村(マリーゴールド):「リリウム。」
石田(チェリー) :「東京千秋楽!!」
小田(シルベチカ) :「リリウム、スノウ氏。」
中西(キャメリア) :
福田(紫蘭) :「東京公演オワリマシタ」
譜久村(竜胆) :「東京千秋楽」
佐藤(マーガレット) :「あゆみんステーション」
鈴木(ローズ) :「焦」
竹内(カトレア) :「東京公演終わりー!!」
勝田(ナスターシャム):「LILIUM」



6/20〜6/21@森ノ宮ピロティホール
■大阪大千秋楽ブログ


工藤(ファルス) :「さようなら、ファルス、ソフィ・アンダーソン。」
和田(スノウ) :「LILIUM」
鞘師(リリー) :「リリウム=ユリの花。」
田村(マリーゴールド):「リリウム終了。」
石田(チェリー) :「私のLILIUM愛!」 「LILIUM引きずりすぎ…(笑)」
小田(シルベチカ) :「リリウムとかリリウムとか、そしてリリウム。」
中西(キャメリア) :「武道館ヤッタルチャン56」
福田(紫蘭) :「永遠の繭期の終わり」
譜久村(竜胆) :「リリウムありがとう」
佐藤(マーガレット) :
鈴木(ローズ) :「感情がいっぱいすぎて嬉しい頭痛。」 「可愛いもんは可愛いんだから仕方ない。」
竹内(カトレア) :「終わっちゃったーT_T」
勝田(ナスターシャム):「LILIUM。」



■その他ブログ(随時追加)


道重さゆみ「リリウム」 「千秋楽おめでとう」
飯窪春菜 :「リリウム!」
生田衣梨奈「リリウム。」
福永マリカ「漲人」



<TRUMP俳優>
土屋シオン「僕たちのクラン」
三津谷亮  :「LILIUM- リリウム少女純潔歌劇- 」
白又敦   :「☆演劇女子部ミュージカル 「LILIUM リリウム 少女純潔歌劇」
根岸拓哉  :「LILIUM リリウム 少女純潔歌劇」





登場人物それぞれの好きなところ、好きなシーン、歌のこと、日による移り変わり、余談、脱線も含めてももっと書きたい。
ハロコンが始まるまで、まだまだ引きずりそうだ。