5/31-6/11 劇団秦組vol.5 「タクラマカン」@池袋あうるすぽっと

幕を下ろしてから1か月。タクラマカンという舞台のことを今更載せます。


少しずつ書き溜めてはいたもののいつになく気持ちがまとまらなかったから今更になりました。こういうのは旬が大事と思いつつも、記しておかないといけない気持ちがどこかでひっかかり続けていました。こんなにざわつくならこの演劇を直視しない方がしあわせだったんじゃないかとすら思ったが、感じることは心を一瞬壊すことだと思い直し、治そうとする時に何か少し変わる。それを避けてはいけない気もしてやっぱり書きます。


生活のヒビに気付くことは、あまり幸せなことではないのかもしれない。気付くことは自分に乱暴すること。それでも気付かない鈍感よりマシかもしれない、と今までそう思っていたはずだったのに、いつからかまぁそれはそれで、と忘れてしまうことも調子よく板についた。これが歳を取ることなら嫌だなと思いつつも、どこかで仕方のないような、逆らえないような気がしていました。だんだん短くなっていく蝋燭の火がいつ消えるかいつ消えるかと怯えるような、そういう終末に向かう気持ちだったのは、それが雨の季節だからというわけではなく、そういういろいろのあれこれだ。そんな時にこの舞台を観て、私はあっという間に逃げ場をなくした。


舞台の幕が開き、目の前で吼える彼女のことが、毎日欠かさず見ている人とは思えなかった。真っ白な首筋に浮き出る太い血管。そこをとてつもない勢いで熱い血液が流れている。生きている、と思った。矢島さんは「ケイ」を生きて、今、目の前で生死に爪を立てていた。ケイを生きた一週間、ケイを生き始めた一か月ずうっと生死に爪を立てていたのかもしれない。その圧倒的な真剣さに飲み込まれて、明日を迎えるごとに、私はますます調子を悪くした。あの眼や大きなてのひらが、喉元をつかんで、私の中に巣くう平和の顔した怠惰や、自信の顔した驕りを見過ごしてはくれなかった。


それも、もういない。
矢島さんは翌日からすぐ“舞美ちゃん”に戻った。













ネタバレを含みます。DVD初見の方注意。













愛のために変わったハヅキとハルキ
愛だけでは何も解決しないことを知っていたシラタキ
偉くなれば必ず何か変えられると思っていたツキノ
自分のみたものだけを信じていた子供のヤン
明るさがあれば痛みをなくせると気丈にふるまったリクとネズミ
ハヅキの眼差しから本当の強さの意味を取り戻すカラス
生きるために誰よりも地に足をつけて走ったケイ
いずれは自分が船になれると思っていたジジイ



そのすべてへ。



舞台となる“この国”には浜辺生まれと町生まれがいる。そこには、大きな格差がある。浜辺生まれは町の仕事に雇ってもらうことができないばかりか、町生まれからは「触ると手が腐るから触れない」、銃弾に倒れていても助けようともしない。同等の人間として扱われることのない、忌み嫌う存在。それが浜辺生まれ。
ケイは、その浜辺に住むものの大半を養っているような、稼ぎ頭、いわばリーダーである。“この国”で名の知れた用心棒のカラスと、兄弟同然の腕っぷしに育ち、通称逃げ足クイーンと呼ばれる足を生かして、泥棒稼業をやっている。生きていくために、毎日毎日逃げ足ひとつで盗品を闇市で売りさばく。それしか食う術がない。何もそれはケイだけではない。浜辺の人間が仕事に就いて稼いで生きていくのは「普通には無理」なのである。



泥棒といえば「ふ〜じこちゃ〜ん」や伊坂作品を思い出す。泥棒稼業にそれなりのクレバーな印象があった。ケイはクレバーではない。けれどリアリストである。夢をみる暇があるなら、腹の足しになるものを自分の足で探しに行くような人間だ。一秒も無駄にできない。手段もないのに本気で夢を見始める連中を「どいつもこいつもバカばっか」と一蹴するシーンが幾度かある。「どいつもこいつもバカばっか」それには諦めがつきすべて吹っ切れた爽やかな声色と、自分の苛立ちを払拭する低い怒号と、ふたつの「バカばっか」がある。「バカばっか」は少しずつ変わっていくケイの温度そのものだった。登場人物で油断がいつか命取りになることを、どこか肌で分かっている人間はみなリアリストだった。シラタキやジジイもまた同じように現実の厳しさを目の中に宿して、それでも誰かを励ます人達だった。シラタキやジジイはどこかクレバーなんだけど、ケイはそうでもない。あくまでこの方法しかないんだ、と本当は体に合うから泥棒でいるわけではないからなのかなと思う。それもそのはず、ケイは既に一度は甘い夢を見た経験者だった。ケイが町生まれのエリート少尉ツキノに対して、その甘い夢を再現するシーンが、何より胸に迫る。



ケイがかつて「船乗り」だった自分の過去を語るシーン。
いつものぶっきらぼうでキレやすい様子は成りを潜め、この国で一番でっかい船を買うと声高に宣言する、あのキラキラとした目。こおんなにでっかい帆を張ってと舞台の縦横全てを使って夢を語るあの時をどうしても℃-uteの活動に重ねてしまう。何を隠そう並行している℃-uteのツアーでは「海賊」を演じるパートがあり、偶然にしても必然にしても、切れない「海」と「船」の存在を目の当たりにする。腕が良く1晩で2ギーツももらった初任の日。「小さい船くらい買えちゃうのかな?」とおどけるヤンの言葉に、彼女はこう返す。「俺はこの国で一番でっかい船を買うんだ。そしてあの国へ行く。帆を上げろ船を出せイエッサーッッ!」矢島さんが大きな夢をみる才能をもった人間だと、役の中かからあぶり出されているようで、胸がつまる。




ケイは強い。時に頑固なほどブレがない。それが町生まれのエリート少尉ツキノの出現で揺らぐ。外堀を埋められて揺らぐ。簡単に人を信じ、夢を見始めた浜辺の仲間たちを横目に、少しずつ何かが変わっていってしまうことへ苛立ちを隠せなくなる。ツキノは浜の者と町の者の国交を回復させようと暗躍する。就職支援をしたり、自ら浜の者へ触れて「手、腐ってないわね」と言って部下たちを驚かせてみたり、浜生まれと食べ物を交換して「美味しいじゃない」と言ってみたり。「知り合わないよりは知り合う方がいいじゃない」と友好をそれとない言葉にしたりする。それでも私にはツキノから発せられるケイへの視線が、真っ直ぐなものには思えなかった。ツキノから、どこか立場の違いを見せつけるようないやな感じを受けた。ツキノは学があって、大切なことを見落としたと思った。



ハルキ。冒頭からヤンへの思い一本で、先立つものもなしにすっとぼけて、誕生日にプレゼントを買ってやりたいだとか、他人へ喜びを与えようとしているハルキは、それはもう愚かしい。ヤンに「プレゼントはどうやって手に入れるの?」か問われて、それはもう爽やかに、ケイにちょっと金借りるだとか、自分でちゃんと盗んでプレゼントする、だとか屈託なく口走るハルキなのである。それでも、悲しみを噛み潰して、笑顔でハルキの頬を叩いてやるヤンは見捨てない。そうして受け止められ、ぶつかってもらえる彼は、幸せ者だ。自分の愚かな行為に気づいたのは、諦めないでいてくれたヤンの愛なる救いに他ならない。手のぬくもりに他ならない。ハルキはヤンへの純情を燃やして、今までみたことない景色を求めて、今までしたことない努力、知らない世界へ飛び込んでいく。恐れをしらぬハルキの、声に出した欲望。それは浜の者、町の者の少しずつ変わっていくはじまり。



愛のためにかわったハヅキという女がいる。理由あって浜辺へ逃げてきた町生まれのハヅキがケイに泥棒を教えて欲しいと懇願にくるシーンがある。匿ってもらったカラスに絶望が訪れ、どうしてもしたいと懇願する。「気持ちがいつまでも変わらないとは限らねえんだぞ」とケイが苛立ちをぶつけた時、たとえカラスの気持ちがいつか変わってしまったとしても、自分の気持ちがこわくないとハヅキはそう言った。ヤンには気持ちが変わるのがこわいのか?と心象風景の中で問われ、ケイは少しずつ熱に悩まされて、くすぶっていく。



ヤンとジジイのシーンはそのからっきしの明るさとどうしようもない最悪の結末に言葉をなくした。ヤンのやりきれない涙とジジイの安堵した顔が、普通のしあわせを分からなくする。それでもヤンが生き続けなければならないのはやっぱりこのシーンがあったからだと後に思うけれど、この時は本当にどうしてこうなったとしか思えなかった。



理不尽な誤解から命を落とすハルキ。希望とやさしさを胸に最悪の結末をむかえる、ジジイ。ケイは、「俺とおまえらとどっちが泥棒だ」とたったひとつの正しさを胸に、体制に向かって、間違った手段にでる。圧倒的に学がないのだ。学がないことのかなしさに痛みを覚える。それでも行くしかないのだという見えない力の切なさに心が縛られて見ているこちら一歩も動けない。上から覗き込み対峙する矢島さんの痛みと怒りと誇りに満ちた目を私はきっと忘れないだろう。



お話は終末にむかい、冒頭のよくわからないシーンと繋がる。話はそうして一刻も経つことなく振り出しに戻るのである。最初にみたときと最後にみたときと同じシーンなのにまるで気持ちが違う。辿りついた2時間の時をぐるんぐるんにかき乱されてぎりぎりと奥歯を噛み締めながら観ているしかなかった。冒頭から一時も経っていなかったのだというあっけなさと、人の中に宿る決意の重みを同時に思う。当たり前のことがとてつもなく苦しい。明るく前向きなケイの胸の中に宿る炎の、本当の意味を知る。キーポイントは前向き。気持ちを強く前向きに持てば弾にはあたらない。その「前向き」に宿っていた業火のことを知る。



人生に損も得もないということ。タクラマカンを観ていた間に、そんなことを思った。苦しいからこそ見えたものがある気がしてならなかった。夢に見るまでの「楽しい」にたどり着くためにはとてつもない「苦しい」があるのだと思った。それであの国には何が残ったのだろう。しばらくはそう思っていた。だけれど、最後に観た時に自然に思ったのは、なにも残すことだけが大事なことではないということ。生きぬいた背中が真実であるということ。新垣さんがたったひとり未来へ手を伸ばすとき、矢島さんが譲らねえからなそんなもんこわくねえんだよと凄むとき、流れのある物語を気持ちよく体に染み込ませることに馴染んだ私は、たった一度しかない爆速の“終わり”の瞬間に触れる。それをあわよくばつかむ。だけどつかめないこともある。そういうギャンブルみたいなのが舞台なのかもしれなくて、矢島さんを観て、初めてあんなに苦しくなった。つかめたりつかめなかったり、でも諦めだけは悪かったり。それは人生のことなのかもしれない。


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私が5回観た中で良かったのは初見ということもあるし、初見でなのかそのものなのか、台詞も聞き取りにくかったけど、噛む人がいなかった「気合い」の初日。あと、愛理ちゃんとマイちゃんが観にきていた日がよかった。矢島さんは日に日に声が枯れていって、9日夜に観たのは最初からもう危うかったけど、逆に言えば危ういのは声だけで、背景がイマイチつかめないぶっきらぼうな役どころを、よくもああ自分なりにカッコよく、さわやかに切り揃えて、真っ直ぐに光放ったなと思った。枯れていく声とは反対に殺陣のキレは増すばかりで、その点では余すところなく覚醒して、何度見ても、結局そのスピードには追いつけなかった。特に床を警棒で叩きつけるシーンの矢島さんが物凄い。最初から終盤まで、あの凛とした役を守りぬくように生きたのは、体力の支えもあるだろうが、矢島さんの実直があってのことと私は思う。



憧れるのは、ハルキやカラスの遊び心みたいなもの。ガキさんは泣きの演技もあるのによくあそこまで気力が持つし、コミカルで幅が広い。毎回毎回泣いて生まれ変わる。役への細かい気遣いみたいなものも感じる。ネズミはすごくナイーブで感動屋で一番起伏が激しい役だと思うけど、彼が泣いたり、笑ったり、空気を作っているのが本当に涙ぐましいので、一番伝わる。ハルキが散るシーンはボロボロと誰よりも涙を落としている。しかも一人ではなくリクという相方と掛け合わせていることが大変難しいと思う。最初はなかなか冷ややかだった客席。リピーターが増えてさらに凍りつく客席。それでも週末には爆笑に変わっていた。誰よりも日増しに空気をものにしたのは2人だったんじゃないかなと思う。感情移入しやすかったのはハヅキハヅキはすごくかわいらしい普通の人間で、だけどある面からみれば特別を抱えていて感情移入しやすい。それはシラタキも同じ。あの2人が愛しいのはドルヲタの現れかもしれません。ツキノさんはどんどん演出が変わった。どれが正解とかはないと思うけど、試行錯誤自体がもう役を生きていることそのものだと思った。2人はケイのきっかけになる大事な人だと思う。ツキノやハヅキと対峙した時のケイの目は、腑抜けた心に突きつけられるナイフだった。真剣の意味を理解できない理想を殺す。ひとたまりもない。劇中を貫く「本当の強さ」とはなんなのか。体調を壊していたことを黙っているような矢島さんの責任感が、芯の強さが、芝居を貫いて、作品を貫いてこちらの胸まで貫かれた。



矢島さんの立ち姿は本当に舞台向きで、表情も含めてダイナミック。初日の幕が開いたその時から、他のベテラン演者さんと並んでも見劣りしない主演の冠に相応しいそれだなと思った。それでいて、やっぱり所作がとても細やかで綺麗だった。指差し。反る背。残す足。沈む膝。敬礼。お辞儀。所作があそこまで綺麗なために、つい邪推してしまう。ケイという役の背景に対して。本当は街生まれなのでは、とそういうところまで。



とにかく矢島さんはこの舞台でひとつの山を越えてしまったと思う。それは元の気質を引き出しただけなのかもしれないけれど、いつもにこやかに笑っている矢島さんが咆哮するその立ち姿は、矢島さんを好きになってからどっかでずっと自分が憧れ続けた姿そのものだった。たった2時間半で、今までの矢島さんをちょっと思い出せなくなった。ケイという役を生きている矢島さんが私には魅力的で、なるほどアイドル本人より役を好きになってしまうこと。役者を好きになるとはなんとつらいことか。本気でそう思った。話としては、和装し刀を操る愛憎の前作「らん」が好きなんだけど、タクラマカンのケイを生きていたこの一週間ばかしの矢島さんは、人智を越えて、神々しかった。「らん」の時は周りの共演者から「この子が主演で大丈夫?」と思われていた(2013/6/21「I My Me まいみ〜」より)矢島さんが、3年で少しずつ引けを取らない姿に結実したんだろうなぁと思うとそれは気が遠くなるくらいの素晴らしいこと。過大評価も過小評価もなく、矢島舞美って、誇り高き女。今でも心の中でケイが「帆を上げろ、船を出せ」と叫んでる。迷ってもあの声を思い出して、きっと行く途を間違えることもない。来た道を戻ることもないのかもしれないけれど。℃-uteはあの船で往くよ、どこまでも。ケイが成しえなかった運命を。





■観劇者のブログまとめ

5/31〈初日〉
光井「タクラマカン

6/1
宮本「タクラマカン☆宮本佳林

6/2
生田「ヤン。生田衣梨奈
ズッキ「2でいず。♪鈴木香音

6/4
愛理「た、、、た(あいり)
萩原「やじまちゃん!mai
真野「タクラマカン

6/5
清水「ど迫力。

6/6
生田「新垣さーーーん。。。生田衣梨奈
愛原実花さん(つかこうへいの娘)矢島さんと対面

6/8
岡井「舞台!千聖
中島「-中-」
徳永 1(矢島さん)2(ガキさん)

6/9
譜久村「行ってきたー☆譜久村聖
生田「3度目の正直。生田衣梨奈
飯窪「劇な日 飯窪春菜
矢島さんの高校時代の恩師

6/10〈東京千秋楽〉
福永マリカさん「
宮原将護さん「早朝搬入からタクラマカン。 追記あり




矢島さんの大千秋楽のブログ
後日談